飛騨では、安らぎの中にも、
残念感がしみじみ湧き上がり
ましたので、山本建造先生の
残存思念に、直接、
コンタクトをしてみました。
その会館は、
掃除も行き届き、
良い空間でしたから、
まだ、残存思念はあったのです。
その結果、
私の亡き曽祖父、
高野山の僧侶が、
托鉢姿で、現れました。
その姿を念写できれば良いんですが、
私は、念写をしたことがありません。
写すには、機械がいるんです。
スマホ時代ですから、
スマホに、念写できればいいね。
やってみようか(笑)
私、今まで、
曽祖父のことは、
無関心だったんです。
28年前に、
秀道宣考上座という骨壷を、
いただいているにもかかわらず。
曽祖父の、僧名です。
やっぱり、
気づきのタイミングは
ありますね。
皆さんも、あるでしょう。
どうぞ、感度を高めて、
気づいてくださいね。
人生、楽しくなります。